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2011.02.13

縁者×∞

NHKは頑張るねえ、と本日の『無縁社会』についての討論番組を見ていた。
昔、同い年の子供たちに民法のバラエティじゃなくてNHKを見ていると知られると「スカした奴め」と敬遠された記憶がある人間としては、あの会社が作る番組が若い人たちの間でちょっとしたムーブメントになっていることが、なんとなく嬉しい。つまらなくて詮のない優越感ではあるが。

「どうしても切れない縁を拒絶することは、自分をまったく他者と独立した自我であると主張することと同義」

どこで聞いたか忘れたが、そういう見方があるらしい。
まあ簡単にいうと他人が「お前は○○だからこうしなさい」と強制するのを「私自身はしたくない」と拒絶する権利をわれわれは選んだということか。無条件という概念を捨てると引き換えに。
ただ、無条件でないということは安心を呼ぶこともあるだろう。今自分が必要とされているのは「自分が必要とされるべきものを持っているから、必要とされることをしているから」という自負が持てるから。ただそれも、必要とされなかったら無価値になる、という危うさを含んだ価値観ではあるんだが。

確かに自分の才能、自分の行動、自分の人格ひとつで生きていけたら身軽だろう。実際そうやって色んな国、団体、土地、会社を渡り歩く性分の人もいるから、縁を作るか否か、作るのが巧みかどうかも得意不得意であって、人間の必要条件と言い切るには性急すぎるのかも。

ふと己の身を省みた。
縁(えんorゆかり)、ねえ。前ヶ瀬は幸か不幸か、多分地方出身者としては不幸なことに過去に同い年の学生たちと進路がずれてしまったので、故郷にある人の縁、特に年頃が近い人たちとの縁は薄い。もちろん故郷にいるうちに地縁なんて、はっきり意識できるわけもないしまともな『土地の人』の概念からはずれつつある。
そういや「実家から県ひとつ離れた場所で一人暮らし」と孤立した状態なんだった。今は両親の経済力に縋って生きているが、そのうち自分で収入を得たとき、実家に戻らなかったとしたら前ヶ瀬はどこかの土地でまったき『縁無き』人間になる。

江戸時代まで旅に出ることが半ば死を表したように、ヒトとモノが移動する限り、地縁や血縁が途切れることは仕方ないのかもしれない。
とはいえ、WWWを介したインタラクティブな情報交換、というやつが浸透しきった現在もその状況が変わっていないこと、むしろその形の歪さに疑問の声を投げかけるひとが増えたのはとてつもなく皮肉だ。

あと番組を見て思ったんだが若い人ほど「精神的つながりなんかどうでもいいから飯を!」と言っているのは、若い人の方が飯に困っているからだけではないだろう。若くてフットワークが軽い人にとっては、むしろ自分が望まない縁なんてわずらわしかったりするのだ。
でもそんな活力とある種の野心に満ちた若者がいつか毎日の中で、縁があるといえるひとが誰もいない状態で茫然自失する日がくるのかもしれない。それがいつかはわからない。
だから前ヶ瀬は単に飯は、とは言わない。「あたしたちは困っているんだ。生きがいとかつながりなんて、こっちのリソースを食いつぶすだけの老害が何を甘っちょろいことを言う」とも言いたくはない。多分この身も若い人に老害、となんとなく恨まれる日がくるだろうから。そう遠くない未来に。

セーフティネットの話はしないようにしよう。経済学、社会学や福祉に暗い人がするべき話じゃない。
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