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2010.01.03

役者・声優の『演技』についての話

またの名を「ヒース・レジャーと藤原啓治にみる演技というもののあり方について」
あんまりこの副題も関係ないが付き合ってくださるかたはどうぞ先へ。


最近の女性声優は、聞き分けがつかない。斎藤千和さんと前田愛さんの区別なんて、どうやってつけいっちゅうの。
まあ聞き分けて名前を知りたいと思う声、演技もそう見つからないんで丁度いいか。
…と、前から気づいておられた方もいらっしゃるだろうが、前ヶ瀬は演技者に大して厳しいし、演技に対してもうるさい。
個人的な経験談だが、それは中学高校と演劇をやっていたことに関係する。


思えばずいぶん向いていなかった。
入部早々先輩方から「役になりきっていない」とご忠告を受け、公開演技にやってきた親からもずっと同じことを言われ続けた。普通ならその時点で離脱していたろうがどうして5年も続けたのか今考えても謎である。
出席率が悪かったわけではない。まわりの何人かは演劇に青春を懸けるほど、ある仲間なんぞ演劇を仕事にしようとするほどのめりこんでいたが、練習は同じ時間、同じようにこなしていた。
しかしどう頑張ってみても「役になりきれていない」「練習が足りない」と言われ続け、もうどうしてかわからないうちに、単にコンプレックスを抱えたまま長い月日が過ぎた。そして、もう続けることが苦痛にしかならないことにやっと気づいて、青春時代の演劇に幕をおろすことにした。
はっきり言って中学高校の演劇部活動はトラウマである。特に中学では同級生との演劇に対する趣味も合わなかったし、今でも彼らの顔を悪夢に見てしまうぐらいだ。

しかし、つい最近やっと気づいた。
問題は「役になりきるか」ではなかった。「その登場人物になりきっていると、いかに観客に見せつけるか」だったのではないかと。
もちろん、その役に入り込むのは大事だ。しかしそれは外に見せるためのものではなくて、苦労の多い「一つの役を演じきる」という作業をやり抜くための自分への刷り込みではないか。違う言い方をすれば「この役のためになら自分は死ぬ気で頑張れる。変だと笑われても耐えられる!」というモチベーション作りでは。

「なりきる」のではない「おれはなりきってるぜ! と体全体で誇示する」のだ。特に長い時間舞台の中心にいたりカメラの中心にいる役者は、その登場人物オーラが全身から後光のように差すようでなければならない。
つまり当時の前ヶ瀬に足りなかったのは「なりきる」ことではなくて、そのオーラを演出する豊かな情感表現だったのではないか。
特に悲劇よりコメディにおいては、役者本人の性格とその役者が持つ「今まで見てきた情感表現の詰まった心の引き出し」が非常に重要だ。ドリフを見てもいいしレッドカーペットでもいい。そして羞恥をかなぐり捨てて『魅せる』ための訓練と根性。
普段からあまり感情の起伏を出すタイプではなかった前ヶ瀬には足りなかった。足りないのがそこだと気づけなかった。そして普段から情感豊かに笑ったり大騒ぎすること、人を笑わせることに慣れていた仲間たちには、自然にできたのだ。


「声優や役者は誰でもできる」のはテレビを見ていて明らかである。長い時間の練習とサポートの出来るスタッフ、そして本人からそう飛躍しない、しかもあまり巧みな演技が必要でない役があればできる。
ただその中で「芸達者」と呼ばれるには、並々ならぬ努力と研究の他に、『魅せる』ことに対する天性のセンスが必要な気がする。

そこで副題に戻る。
ダークナイトの吹き替えで、他の登場人物が吹き替えメインの声優さんによってアテられる中で一人アニメ中心である藤原さんが呼ばれた。
実はそれは結構危険である。実写である洋画とアニメでは表現がぜんぜん違うため、ヘタをするとアニメ出身の声優さんだけが浮き上がってしまう。逆をやればアニメに不慣れな人が周囲のテンションも相まってごーんと沈んでしまう。最近主演にだけ俳優をアテるアニメ映画が増えてきたが、周りがこなれた声優さんばかりだとかわいそうで涙が出そうになる。それは仕事の領域の違いであって、本人のせいではないのだが。
とにかく、吹き替えにあまりクセの強いアニメ声優を連れてくるのはよしたほうが無難である。ましては藤原さんはアニメ声優界の中でも強烈な個性派であるのに。
しかし、吹き替えた役がジョーカーであったから、許された。藤原さんで洋画の吹き替えといえば、ソフト版の『チャーリーとチョコレート工場』に登場するウィリー・ウォンカを思い出すが、あれもウィリー・ウォンカであったから破綻がなかったのである。

つまり結論。藤原さんも個性派だったが、上に上げた2人物も実写映画にあるまじきぶっ飛んだ個性を備えた「キャラクター」であったからだと。元々リアクションが少ないせいか日本アニメではよくあることだが、そうやって普通にセリフを追うだけでは面白くもなんともなくなってしまう。
「つーか普通に喋るジョーカーとかもはやジョーカーじゃねえだろw」であってあいつは特に「クセのある面白いしゃべり方」が必要な登場人物である。そういうところに『言葉まわしの演技』に不慣れな人を連れてきてしまったらそれこそヒースさんが草葉の陰で泣くようなことになってしまっただろう。あの映画でジョーカーは主人公のブルースをぶち抜いて一番大切な登場人物だったのだから。
とにかく声優なんだかタレントなんだかわからん売られ方をされている、かわいそうな境遇の皆さんの間にも藤原さんのような『言葉まわしの技』に長けた演技上手がいることは、一種の希望ともいえると思う。声優はタレント集団ではなくてあくまで本質は演技集団である。彼らの世代が去る前に芸達者な後身よ育て!


後身といえば、チョコレート工場の場合オンエア版でウォンカを演じたのは宮野真守さんだったが、宮野さんには悪いものの非常につまらなかった。不思議なことに抑揚やセリフの区切りはほぼソフト版、つまり藤原さんの吹き替えをそのまま踏襲しているのに、宮野ウォンカはちっとも面白くなかったのである。
必要とあれば自分の声一本ですごい「おもしろさ」を醸し出せるのが藤原さんという声優で、「おもしろさ」を作るという面であの場合宮野さんは至らなかった。
宮野さんの本分は「かっこよさ」であろう。いや厳しい言い方をすれば宮野さんの場合脚本セリフの時点でかっこよさ決定な人物を演じているところしか見たことがないので(鋼鉄りっくんとか夜神月とか)、演じているのか字面に乗っかっているのかよくわからないが。しかもそういう声優さんの場合、ますますデフォでかっこいい役しか回されなくなって技術を磨く暇もない。なんとも不幸なことである。

日本人の場合笑いを字の内容に求める場合が多いが、落語家の方も言っているように文字、つまりシナリオの時点ではなんの面白みも含まない。演じる人がいて、その人が情感たっぷりに「笑いの空気」を創り上げてこそ、はじめて面白くなるのだ。

それにしてもヒースさんは三十前の若手で、しかも今まで悪くいえばクセのない役しかやったことがなかったのによくあんな演技ができたものだ。サポートがよかったとか原作がよかったとか色々いわれているが、やはりヒースさん自身の「演じる、魅せる力」と映画の演出が最高の形で噛み合った結果だと思う。だから死後であっても、コミック原作であってもアカデミー賞が取れた。漫画を愛しているという日本人にだって、そこまでしてくれる役者、漫画原作の映画を評価してくれる有識者がいるだろうか!
とはいえ今は亡きヒースさんにとってもダークナイト一本はかなりのギャンブルだったに違いない。若い内のインパクトが強い役というのは後を辛くする可能性もあるから、日本であれば事務所が反対するレベルである。まあ日本のように役者が持つキャラクターを使い捨てするだけではないアメリカであれば、あの経験を活かして今後も頑張れたかもしれないと思うと、本当に夭折が悔やまれる。
ちなみに前ヶ瀬は毎年アカデミー賞といえば「助演〜」が気になる。主人公というのは観客に不快感を与えないようにという制約がどうしてもかかってしまって、人物がパターン化することも多いからだ。さらにメンツが固定化してしまっていて意外とつまらない。


ハムレットを演じるといってもその役者は「中世スコットランドの騎士で、魔女の予言にしたがって主人を裏切った簒奪者」ではない。ジョーカーを演じるといってももちろん役者は「アメリカ人で、わけのわからない狂人で生涯に二千人以上も人を殺した快楽犯罪者」ではない。役を理解しようなりきろうと頑張っても、リアルか架空かは別として全然違う個人なんだから完全には無理なのである。
だからフィクションにおける『芸』という技術が生まれたのではないか。ぜんぜん違う境遇の自分を「まるでその登場人物であるかのように見せる」技術が。

ちょっと大げさな表現、リアルには無理な表現でもある一シーンの中におさまればすごく見えてしまうのが演技のおもしろいところだ。これが『芸』といえると思う。演技という言葉も『演』じる『技』なのだから。
だから前ヶ瀬は「好きな俳優」と「すごいと思う俳優」は分けて考える。
声優は声だけで純然なる芸なので、後者をひとまとめにして「好きな声優」だが実際に顔を出す役者はそうはいかない。役者本人の顔や外見、声質や喋り方、そしてそれが今まで演じてきた役柄の中でどうなってきたか、というようなことが確実に絡んでくる。だから「演技はたいしたことないと思うが雰囲気が好き」ということが起きうる。ちなみにその最たるものが松本幸四郎氏。だって何をやっても変わらないんだもの…だがそれでいい!
それに対してアニメで演技にみるところがないがキャラ好きな場合、「なになに(キャラクター)が好き」で終了。声優は役と融合してしまって、声優としての名前が頭から掻き消えて興味対象にならん。

とはいえ自らを顧みてみると「どんな仕事を持ってこられても対応出来る演技者」「役によって自分を変えられる演技者」そして何より「かっこよさより情感のある演技ができる演技者」が好きなんだなあと思う。本人の成長そして人生をうっちゃって役者のキャラクターを切り売りする日本のフィクション界、とくにアニメ界では非常に厳しい状況が続くと思われるが、どうぞ演技者のみなさん頑張って!


以下おまけ。毒吐き注意。
この前のニュータイプロマンスの表紙に「〜(前半は興味ないんで忘れた。ルルーシュがいたのは覚えてる)、日本から藤原啓治まで」とあってあれ、藤原さんってイケメン扱いだったのと首をかしげてしまった。
確かに一番有名な役が『野原ひろし』の割にかっこいい役をやればものすごくイケメン声に化けるのが芸達者藤原啓治である。ここまできて異端で悪いがBlood+のネイサンかっこよかったわ〜!
しかし藤原さんはイケメン声優じゃあない気が。つーかそうやってくくるというかPRするって日本声優界終わってるだろ。
イケメンじゃなければ消えろってか、それに引っかかるおなごバカすぎというか死ぬほどあほくさい!!

後で調べたら藤原さんけっこう吹き換えもやってるな。まさか主役よりすごいジョーカーにばばん、とくるとは思わなかったけど。ダウニーさんやってるがシビれたぜ、って意外とアメコミと縁深いな。向こうは喋り方大事にしてくれるからか。
でもこれソフト版なんだよねー…オンエア版だと誰になるんだろう。ダークナイト版ジョーカーはあの時点でブルースと同じくらいの年齢で三十ちょと前ぐらいだろうが(恐ろしいことにヒースさんと年齢かぶっとる!)、ヒースさんの幽霊と父を含めた日本のファンの生霊に呪い殺されるから下手な若手連れてこれねえぞこれ…どうすんだ?
まあ、無難にかっこいい系つれてきてつまらなくなる予想に一票。
そうなったら自分のイライラとヒースさんの無念を慰めるためその声優さんの名前プリントアウトして鋲打つがな! ひひゃひゃはーーぅっ!!!
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