FC2ブログ
TOP > 2011年02月
--.--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2011.02.28

かみさまとカンニング

数学者のパスカルは

「神さまがいると信じるか、いないと信じるか。
いると信じれば、死後に無限の幸福と命が得られる。対して信じなければ跡形もなく消滅して終わり。
選択は一度きりで、利益は無限でペナルティは有限。なら、迷うことなく前者に賭けろ(要約)」


と、神さまを信じるほうが得であると数学的結論を下したとさ。期待値計算でもやったのかよ。
なんかあちこちの大学でカンニング騒ぎが出てるが、くだんのパスカルどんは入試のカンニングも容認するんだろうか。

ズルをするかしないかなら、ゲーム理論に従ってズルをした方が期待値的にお得なのはご存知の通り。
ただ皮肉なことにその類の合理性を突き詰めれば人間の頭のレベルを越えてしまって、かえって非現実的。誰も数学的に考えて行動なんてしないし。 それにさっきから偉そうに期待値期待値いうが、期待値の考えは一応数学とはいえ試行回数が少ないと単なる博打だし。
第一残念なことに現世では、(受験生的には信じたくないけど)例え山大に入っても京大に入っても東大に入ってもMITに入っても無限の幸福は得られないんだよなー。パスカル式が通じるほど簡単ではなさそう。

人間五十年、死んで終わりとしたら利益もペナルティも程度はあれど有限か。なら個人の自由に従って、ゲーム理論に背を向けて真面目にテストを受けちゃってもいいじゃないの、と思う。
自分はどうだったかって? そんなこと考える余裕もなかったからもーまんたいだッ!!
スポンサーサイト
Posted at 01:15 | 日記 | COM(0) |
2011.02.23

あたしらサタンさんとは腐れ縁

「もちろん、食べないと人間は死ぬ。だけれど、学ぶのは食べるためだけじゃない」

というのが自分の持論。信仰についてのキリストの言葉をいい言葉だ、と思ってもじった。
なぜ学ぶ? 学ぶため。知りたいから。なぜ知りたい? やっぱり知りたいから。
ダーウィン理論に従わない、動機と目的の気持ち悪いループ。同じような資本主義ループに対してと違って、その不自然さはどうだという人はいるが、そこを含めて、ひとつの本質だと思っている。
そこまで不自然な動物は、人間しかいない。昔の西洋でちょっと計算してるんだけど、と武器を持ったあんちゃんに突っかかって殺されてしまった爺さんもいる。そんな変な生物は。

「バイトで将来の収入のために勉強するんだ、と教えるのが負担になったんじゃないの?」

と聞かれるが、実はそうでもない。

だいたい学歴と収入は比例するのは統計だ。期待値も確率も統計も、一定数集めてそこからお金を徴収するんじゃなくて、一人の人間がどうなるかを問うときは博打と同じ。ハーバードを出たって職がなくて餓死する人はいる。自分が餓死しないことを祈るしかない。
だいたい、中学生や高校生にその比例関係は統計でーなんて言っても、実際危機感で動ける子はそんなにいない。別にそれがゆとりとは思えない。体験していない苦労は想像できないもんだ。

希望の中では絶望が売れ、絶望の中では希望が売れるらしい。でも年を取って、生活が変わってしまう、今より状況が悪くなったりするのは誰だって仕方ないと思っている。売ろうとするだけならタダだから、訴えられない限り好きにしていい。
上司も同僚もいい人だし、次のiPadも欲しいから俺はバイトを続けるぞジョ○ョーっ!

ある意味、日経の記事を欠かさず読む優秀な現代のビジネスパーソンが、科学者なみのポジティブ思考に洗脳されていることは短期的にみれば明るい兆候と思える。
競争力があれば、スキルがあれば、豊かになれる。豊かになれば幸せになれる。バイオ技術があればうちの祖母のパーキンソン病が治るかもしれない、だから一番若い娘が生物か医学を学べば、と信じていたうちの家族のように。
もちろん(祖母は残念ながら間に合わなかった)、自分がやっている学問が世の中をどう動かしうるか、と意識するのも大変おもしろいことだけど。

結局、年上相手でも年下相手でも、学問をないしビジネススキルの重要性をどう捉えるかは、その人の好みだと思っている。
とりあえず自分は教本と鉛筆がある場所が好き、ということはわかったし。あと人を教える仕事はそれなりにしんどいということも。先生、コンサルは常に胃潰瘍予備軍っぽい。

ときに図書館で勉強するか喫茶店で勉強するか。それが問題だ。
学校の課題は図書館で、資格試験は喫茶店でみたいなところだろうが、きっと逆にすると自分が裏切り者になった気分になるからじゃないか。図書館で学問を汚す奴、喫茶店で世の中の役に立たない古物、みたいな。
ひとつ確かなのは、家ではなかなか集中できないということ。出かける労力も途中の飲み物代もバカにならないのに困ったもんだ。
Posted at 18:10 | 日記 | COM(0) |
2011.02.17

It TAKEs... ~金と時間は取られるもの

ご存知ミヒャエル・エンデの児童文学。映画にもなったぞ。
映画は物語の筋がわかりやすく、かつ画面作りがおもしろく仕上がっているので一度見るべし。

この物語に登場する『灰色の男たち』が何者なのかは、実はよくわからない。
実際テレビを見ていて勉強の時間がなくなったからテレビが時間どろぼう、という単純な話じゃあるまいし。それは誰でもわかっていて、哲学の本からセラピー本から時間活用法のライフハック本までの中で様々な解釈が出ている。でも一度も「なるほど」と納得させられたものはない。

「あなたは午前中に〇〇をして何分、一ヶ月では何時間、そして一生ではうんぬん時間の…」
というどこか寒い勘定をしながらこの男たちは時間の有限性を説く。その時間を『節約』すれば、もっと豊かな人生が送れるんだよーとか。ちょっと前にビジネス本で全く同じような計算式を見て思い出し恐ろしくなり、その場で読む気をなくしてしまった。
で、その男たちのいう通りに時間の『節約』に務めた人は確かに豊かになったんだが、いつもあくせくして、しかも満足できなくて疲労感ばかりが募る毎日を送るハメになってしまう、という話。

収入さえあれば温泉旅行に行ったり趣味のギターを買ったりと、プライベートが充実できるということもあるだろう。詮無い知り合いの愚痴を早めに切り上げることで、図書館で好きな本でも読めるかもしれない。
ある時間を別の用途に代用したり、前倒しにしてフリーな時間を後に作ることが悪いということは多分エンデも言ってない。むしろ

「一時間日向ぼっこなんてするより、TOEICの勉強をして将来の就職を有利にすることがスマートな方法だ」
「そんなちんたらやってないで、時間を短縮して沢山の数の仕事をこなしたほうが収入が増える賢いやり方だ」

と、暗にお金がある方がいい、他人とのスキル競争に勝てる方法がいい、と価値観のファシズムも植えつけているところがマズいんじゃなかろうか。灰色の男たちがやった一番恐ろしいところは、そこなんじゃないかと思う。
つまり、別に草食系でのんびりやっていいじゃないー、と暮らしてバランスが取れていた人々の日常を、いきなりウォールストリート式or六本木ヒルズ式に改造してしまったようなもので、必ずしもうまくいくわけがない。
「もっとうまく生きれますよ」と言う人は無意識に「この生き方がいいんですよ、あなたの生き方じゃだめですよ」とも言っている、ということは忘れないでおいたほうがいいかもしれない。

忙しいのが悪いわけじゃ決してない。ワーカーズハイ、みたいな超忙しくてゆとりも暇もないのに仕事が楽しくて気持ちよくってしょうがない、というような状態もあるらしいし。
でも他人が決めたいい生活のために他人が決めたやり方に従って働くのはどうかなー。そうしていつの間にか麻薬やヤクザ社会みたいに、他人の価値観から抜け出せなくなるってまずくないか? という考えも決して馬鹿げてはいない。

だいたい「うまく生きられる」という考えそのものが、自分は自分のスキルで全てをコントロールできちゃうんだぜ、という傲慢なのかもしれないし。

なんだったのかなあ、灰色の男たちは。
作中でホラが言ったように有用に生きよう、豊かになろう、とはいつか誰かが言い出したことのはずだ。それはひとつの価値観で、言い出した人はなにも悪くない。という意味では、あいつらは人間の中に自然発生したらしい。
で、先進国の人間みんながそうしようと飛びついたから灰色の男たちいは生きる場所を得て、育って増えて、今度は人間を支配するに至ったわけだ。そこにあるのは有意義な生き方、という固定概念だから、その固定概念こそが灰色の男たちの正体なのかもしれない。

で、余談。
実際はエンデが「盗まれた」といいたかったのは時間ではなく、お金らしい。つまり財テクに関する疑問の念から生まれた話だったりして。そういやこの人は反資本主義派だった。
お金と時間はストックされるかフローしていくかの違いはあるが、なんか自分じゃないものにガリガリ削られていく気がするもの代表格だよな。
時間もお金も本来『使う』ためにあったはずだよな。なのに
「時間をよりよく使うために時間を使って色々勉強しなくちゃいけない」
「お金をもっと儲けるためにお金を儲けて投資しなくちゃならない」
と、手段と目的がループしている気持ち悪さには共通のものを覚える。エンデさんすごい。左派が書く児童文学なんて、なんて文句を言う人は子供に『無駄な』児童文学なんて読ませずに、『有効に』勉強させてハーバードに入れてくださいねー、なんてね。
Posted at 22:36 | 日記 | COM(0) |
2011.02.16

チャーチル曰く『黒い猫』

うつ病という最近はやりの病気がある。別名心の風邪、もしくはガス欠。
本に書いてあることはあながち間違いではなく動けない。経験者でなくてはわからない奇妙な状態で、隣人どころか本人でも回復したのちに「どうしてあんなことになってたんだろう」と首をかしげたりする。

『モチベーション』『気力』『活力』はいわば状態を表す言葉だ。別に車のガソリンとか生物にとっての糖質や脂肪、トランスフォーマーにとってのエネルゴンのように物質として蓄えられているわけではない。
なのにどうして、目減りしたり枯渇したり、もしくは過剰になってかえって害になったり、といったことが起きるのか。

モチベーション、というには特殊なケースだが戦場にいる兵士にも似たことが起きたりするらしい。
戦意や勇猛さは実は有限で、本人も気づかないうちに目減りしていく。そして、すっからかんになった時はじめて「もうだめだ」ということに気付くらしい。
中間状態で「あ、私この前よりまずい感じになってる」というような危機感を覚えることはまりない、というのは不思議な心理だ。
場面やモードを切り替えると、気分というのはいったんリセットされるように思えてしまうからだろうか。なんだか、違う雌鳥を宛てがわれると、雄鶏はすぐ次の交尾に入れるーみたいな。

でも精子は物質だよなー。うむーむ。
Posted at 21:42 | 日記 | COM(0) |
2011.02.13

縁者×∞

NHKは頑張るねえ、と本日の『無縁社会』についての討論番組を見ていた。
昔、同い年の子供たちに民法のバラエティじゃなくてNHKを見ていると知られると「スカした奴め」と敬遠された記憶がある人間としては、あの会社が作る番組が若い人たちの間でちょっとしたムーブメントになっていることが、なんとなく嬉しい。つまらなくて詮のない優越感ではあるが。

「どうしても切れない縁を拒絶することは、自分をまったく他者と独立した自我であると主張することと同義」

どこで聞いたか忘れたが、そういう見方があるらしい。
まあ簡単にいうと他人が「お前は○○だからこうしなさい」と強制するのを「私自身はしたくない」と拒絶する権利をわれわれは選んだということか。無条件という概念を捨てると引き換えに。
ただ、無条件でないということは安心を呼ぶこともあるだろう。今自分が必要とされているのは「自分が必要とされるべきものを持っているから、必要とされることをしているから」という自負が持てるから。ただそれも、必要とされなかったら無価値になる、という危うさを含んだ価値観ではあるんだが。

確かに自分の才能、自分の行動、自分の人格ひとつで生きていけたら身軽だろう。実際そうやって色んな国、団体、土地、会社を渡り歩く性分の人もいるから、縁を作るか否か、作るのが巧みかどうかも得意不得意であって、人間の必要条件と言い切るには性急すぎるのかも。

ふと己の身を省みた。
縁(えんorゆかり)、ねえ。前ヶ瀬は幸か不幸か、多分地方出身者としては不幸なことに過去に同い年の学生たちと進路がずれてしまったので、故郷にある人の縁、特に年頃が近い人たちとの縁は薄い。もちろん故郷にいるうちに地縁なんて、はっきり意識できるわけもないしまともな『土地の人』の概念からはずれつつある。
そういや「実家から県ひとつ離れた場所で一人暮らし」と孤立した状態なんだった。今は両親の経済力に縋って生きているが、そのうち自分で収入を得たとき、実家に戻らなかったとしたら前ヶ瀬はどこかの土地でまったき『縁無き』人間になる。

江戸時代まで旅に出ることが半ば死を表したように、ヒトとモノが移動する限り、地縁や血縁が途切れることは仕方ないのかもしれない。
とはいえ、WWWを介したインタラクティブな情報交換、というやつが浸透しきった現在もその状況が変わっていないこと、むしろその形の歪さに疑問の声を投げかけるひとが増えたのはとてつもなく皮肉だ。

あと番組を見て思ったんだが若い人ほど「精神的つながりなんかどうでもいいから飯を!」と言っているのは、若い人の方が飯に困っているからだけではないだろう。若くてフットワークが軽い人にとっては、むしろ自分が望まない縁なんてわずらわしかったりするのだ。
でもそんな活力とある種の野心に満ちた若者がいつか毎日の中で、縁があるといえるひとが誰もいない状態で茫然自失する日がくるのかもしれない。それがいつかはわからない。
だから前ヶ瀬は単に飯は、とは言わない。「あたしたちは困っているんだ。生きがいとかつながりなんて、こっちのリソースを食いつぶすだけの老害が何を甘っちょろいことを言う」とも言いたくはない。多分この身も若い人に老害、となんとなく恨まれる日がくるだろうから。そう遠くない未来に。

セーフティネットの話はしないようにしよう。経済学、社会学や福祉に暗い人がするべき話じゃない。
Posted at 00:32 | 日記 | COM(0) |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。