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2010.10.28

滑り込み感が

明日God eater Burstの発売日じゃないか。
アラガミ並にこっちを駆逐しにかかるMH3rd発売の一ヶ月前に滑り込んだか。ニッチェ(生物学用語で『生態系の中での居場所』)というのは残酷なもんだのう。

近所のコンビニで予約しようしようと思っていたら、油断して期限を過ぎた。
まあ、発売日決定一週間以内にあるお店で30件以上予約が入るMH3rdとは違って普通にお店でも買えるよね。買えることを祈る。

というかちっとも公式サイト見てないんだが、NPCにツバキ姉さま追加されるのか?

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Posted at 00:37 | ゲーム | COM(0) |
2010.10.06

自己が満たされるとか…

同じサークルのメンバーの冗談に後輩が

「おい、てめえ咲夜さんバカにすんなよ!?」

とマジギレして、当然軽い言葉遊びをしただけの相手もイラっときてまずい空気になった。
慌てて止めたのち周囲にも「不快な話題にわざわざつっかかることはお互いによくない」と注意された本人はむっつり黙り込んだとさ。
大学生になって中学生みたいな人がいたもんだ。というかキミには咲夜さんに関わるどんなトラウマがあるんだ?


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ここ10年ほど運動をやっていなかった前ヶ瀬が週3回のジム通いを初めて半年経ったので、『仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか』とかいう本を呼んでいる。
ダイエット本は巷に溢れていても、健康とトレーニングに関わるしっかりした本はあまりなく、高い上に前ヶ瀬は別にスポーツ選手じゃないから、そこまで専門的な内容もいらないのだった。『仕事ができる人』というのならデスクワーカー向けだろうし。

とりあえず今までおもしろかったのは

「できる仕事は”目的を持つ、意識を変える、自分の限界を見定める”など完全に体育会系の世界である」

みたいなところ。
あー、体育会系のノリにどうしても馴染めない前ヶ瀬は高い社会的ステータスなんて得るべくもなさそうだ。
というかビジネスが体育会系というよりも、受験生だって技術職だって事務職だっていわゆるなれっじわーかーというやつだって努力の指針は共通なのかもしれない。そこは社会生物学+社会学・経済学と同じで紐付けした人勝ち。


加えて一番気になった、というかある意味恐ろしくなったのが

「仕事で収入も社会的ステータスもある人は、でもそれって永遠じゃないよねと不安になって、決して裏切らない自分の肉体を鍛錬したがる」

というもの。
明日にでもいきなり病気になるとか車に轢かれる危険もなきにしもあらずなんだがな。というかいいエリートが中学生みたいなこと言わないでくれよ、下々が心配になるじゃないか…。

だが著者の「人は肉体を鍛えている人を無条件で賞賛する」という指摘は正しい。しかしそれはイメージマジックで、考えてみればおかしい見方じゃないか?
そうなると、自分の「強い肉体と精神」がほしいのか、「自分は強い肉体と精神を持っているという満足感」がほしいのかが怪しくなって怖い。

「お金も地位もあるから次は自分の体もしっかりさせないと」なんて言いだす輩は、どんな他人が羨むものを持っていても一生満足できない不幸な人とも言えるんじゃないか。
仕事をもっと早く片付けられるようにするとか、いい企画書を作るとか、いい実験手法を生み出すとか仕事に関わることならともかく、自分自身を鍛えるなんて一番曖昧だ。「鍛えられた自分がいい仕事をする」という見方もやることが筋トレではどうもずれていて気持ち悪いし、「仕事はやるだけやったからこっちを」だとしたら、仕事なら他人が評価をくれるが自分自身に満足できる日なんて永遠に来ないのに。
よりよいものを得ようと思って頑張るのは素晴らしいことだが、最近の努力・自己責任ブームを見るに「努力家ほどいつまで経っても充足できないスパイラルにはまってしまう」んじゃないかと思う。理想が高いだけに。
で、それでももっと高みを見られると信じる人、あるいはよくいえばフロンティア悪くいえば無間地獄だと知っていても別の目的がある人が頑張り続けるとする。その資質はあまりに稀有で、みんなが目指すロールモデルにするには危険な気がするんだが。

一昔流行した「自分探し」が市場経済を巻き込んで慢性化すると、こうなるのかもしれない。
とはいえ自分の現状に満足することなくより努力するような人できたが、昨今のブームに追い立てられて疲れ果てるような可哀想なことにはなってほしくない。


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大学という狭い世界だって、冒頭にも書いたように色々なものが見れる。
ゲームと世渡りのうまさだけを超ハイテンションで自慢する子や、志望校に行けなかった悔しさを思い出して涙を滲ませる子を見るにつれ、

「誰だって自分をいっぱしに見せたいけれども、その望んだ自分を築けるのは本当に運のいい(こっちの方が努力したとも限らず)ほんの少しだけ。そして、どっちにしても結局詮のないこと」

としみじみ思う。
Posted at 01:20 | 日記 | COM(0) |
2010.10.04

「脱がせなくてどうしろっていうんですか!

最近のいわゆる「男の娘」キャラを男性と認識すべきか女性と認識すべきか、という議論の中で飛び出た後輩の名言。

前ヶ瀬の
「外見や立ち振る舞いがどう見ても女なら、キャラクターとしては女であるといえるだろう。いちいちパンツを脱がせるわけでもなし」
という意見に対するツッコみだったんだが、後から考えるとなかなか含蓄のある発言である。

フィクションにおいてセクシャルマイノリティを描く目的は、それこそ「パンツを脱がせること」つまりセックス(性)を描くために他ならない。おそらく九割九部は。そうでないなら描かれるのがBLである必要はなく、百合である必要もふたなりである必要も男の娘である必要もないんである。

そこまで考えて、実はそういうネタを作る側も消費する側もとてつもなく醜悪なことをしているんではないか、と怖気だつのを感じた。
「自分のフェティシズムを満たすためだけに」
「自分のフェティシズムを満たしうる勝手なイメージ(妄想)に従って」
「その嗜好ゆえに差別されうるセクシャルマイノリティによる架空のセックスをわざわざ描いて」
「そのフィクションを通じて自分も周囲もさらなる偏見へと引きずり込む」

ことじゃないか、と。

「ゲイだってケツ穴ほじくり合うだけじゃない」
というような苦言を呈した人がいる。確かにいわゆる「普通の」男女の付き合いだって多様で、すぐにセックス!となるわけではない。なのにセクシャルマイノリティが登場した途端そういう話をしたくなるのは不思議だ。
とにかく勝手にネタに使われて勝手に気持ち悪がられる方はえらい迷惑である。いくら絶対数が違うといっても嗜好が違うだけで余計な苦労を背負ってしまう人を、どうしてこれ以上いじり倒して不幸にして平気なのか。

まあフィクションにおいては「どうしてここでゲイなのか、レズなのか、ペドフィリアなのか、性同一性障害なのか」という作者の意図の話になるわけで、ともかく現実も架空もセックスなしでは成り立ちそうもない。
セックスを描く人はセックスとそれに関わるパワーバランス、感情の機微についてよく考える、という責任くらい負うべきだと思う。とくにデリケートなセクシャルマイノリティの話題については。
今のところ女性向けで性描写がある漫画や小説は法的によくわからない扱いをされている。近いうちに娯楽なのか芸術なのか新しい形のポルノなのか、という議論が起きるだろう。よくいう「中に被害者などいない!」の形ではあるものの、のっぴきならない現実に向き合っている人をネタに使わせていただいている限り、慎重にネタとして扱わなければ「ごくごく普通」である大多数の書き手と読み手こそ畜生と非難されて然るべきだろう。

Posted at 01:33 | 日記 | COM(0) |
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